2022/05/02
「木」に学ぶ⑥:落葉にいつまでも執着しない
さて、
シリーズ「木」に学ぶ、の
今回は6回目で、最終回です。
前回はこちら↓
「木」から学べる5つのポイント、
1:根をしっかり伸ばす
2:幹を太くする
3:光の方向を見失わない
4:枝が折れても根元から新芽を出す
5:落葉にいつまでも執着しない
その中の、前回は
4、でした。
今回は、
5:落葉にいつまでも執着しない、
これに、取り組んでみましょう。
・・・
落葉樹というものは
ほんとに、冬には
丸坊主になりますよね。
夏には鬱蒼としていた葉が、
秋の紅葉を経て、
パラパラ、カサカサと、
落ちていきます。
あんなに精一杯、
増やして、大きくした
葉っぱなのに、
悔しくはないのでしょうか?
でも、
落ちていかないで〜と
絶叫している彼ら(木たち)を
見たことがありません(苦笑)。
その割り切りの早さ?
執着のなさ?はどこから
来ているのでしょうか・・・。
ここでもまた、
彼らから学べそうですね。
・・・
まず、人間にとって
葉とは、
何に相当するのでしょうか?
前回、
枝を伸ばす、ということは
外界との接点を持つことだ、と
お伝えしました。
その流れで例えるなら、
葉とは、
外界との接点を持ったことの
結果としての、
いろいろな意味での成果物だ、
と言えるかと思います。
成果物・・・、
例えば、どんなものが
思い浮かびますか?
外界との交流を通じて
生み出されるもの・・・、
顧客から発注があって
それに応えて納品したとしたら、
その商品は、
成果物、ですね。
形のあるものだけでなく、
いろいろなサービスを提供したら、
それも、成果物。
それで得た、対価も
そう言ってよいでしょう。
それが、家庭内でも
同じです。
家族の要望にそって
夕食を用意したなら、
それも、成果物。
さらに、その交流で生まれた
対人関係、それ自体も
成果物と言ってよい。
職場での上司や同僚、
そして顧客とのつながり。
家庭なら、パートナーや
親、子どもとのつながり。
これらが、全て、
「葉」に相当する、
ということですね。
・・・
そして、その「葉」は
いつか必ず、散っていく、
ということです。
でも、私たち人間は、
その喪失に、悶絶します。
心底、
のたうち回りますね。
だからこそ、
彼ら(木たち)から
学ぶべきポイントが
あるはずです。
喪失のダメージを
なかったことにはできないが、
少しでもマシに
やりすごす、そんな
知恵はないか?
それって、
何でしょうか?
・・・
ポイントは
二つ、あります。
一つは、
「葉」は、
いつかは落ちると、
頭の片隅には置いておく、
ということです。
逆に言うと、
この「葉」は永遠に続くと
信じ込む、それを
やらない、ということ。
実は、このテーマ、
人類にとって
太古の昔から続いています。
不老不死を追い求めたり、
子孫の永代繁栄を願ったり、
最近では、
アンチエイジングとか
300年続く会社を目指す、なども
その末流ですね。
太古の昔からの
大テーマだということは、
実は、みんな、
「葉」はいつか落ちる、
つまり、形あるものは、
いつかはついえる、
それを知っている、
だけど、それを認めたくない、
ということなのです。
そんな中で、
それを、潔く認める、
それが、
彼ら(木たち)から学べる
知恵の一つ、
ということになります。
でも、それを認めると
あまりにもむなしくて
何もやる気が起きなくなる、
という方も、多いかと思います。
どうせ散る「葉」なら
なんでわざわざ、
夏にせっせと繁らせる意味が
あるのか?と。
・・・
その点への回答が
二つ目のポイントになります。
落ちる「葉」に
執着するのではなく、
それを生み出した
「枝」の力を信じよう、
ということです。
おそらく彼ら(木たち)は
そうしています。
(お前は木の気持ちが
わかるんかい!と
ツッコミが入りそうですが)(苦笑)
彼ら(木たち)は、
「葉」が秋になれば落ちることを
知っている。
でも、「枝」の力を
信じているから、
丸坊主の冬をしのいで、
再び「葉」が生まれる
春が来ることを、
じっと待つことができる。
「葉」に執着するのでもない、
かといって、
再び「葉」が生まれることを
諦めるわけでもない・・・、
丸坊主のまま
寒風にさらされる
彼ら(木)たちを見て、
私たちが何か
感ずるものがあるとすると、
彼らのその
「枝」の力を信じる
姿でしょうね。
・・・
抽象的な話が続いたので
一つ、具体例を。
例えば・・・
このパートナーほど
相性がピッタリの人はいない、
今までも、これからも・・・、
この人と結婚するしかない、
他の人は考えられない、
そして、老人ホームまで
一緒なんだ・・・、
私にとって、この人が
人生の全てだ・・・、
そんな恋愛があったと
しましょう。
半年、続いた後、
パートナーに
別の好きな人ができて
別れ話を切り出されたとしましょう。
「葉」はいつかは落ちるって
誰かが言っていたよな・・・
そんなことを思い出しても
失恋の悶絶は
どうすることもできません。
さんざん、泣ききった後、
ふと、もう一つ、
思い出す。
自分の「枝」の力を
信じる・・・。
パートナーと出会い、
ものすごく輝いた
日々をともに過ごすことが
できた、その出会いを
生み出した、その力は
自分のものだ。
「葉」は落ちる、
でもそれは、
「枝」の責任ではない。
「葉」は落ちても
「枝」の力を
否定する理由にはならない。
・・・
この「枝」の力を
信じることができる、
その根拠は、どこから来ると
思いますか?
それが、
「枝」を支えている
「幹」であり、
それを支えている
「根」であり、
それが生えている
「大地」であり、
それら、木の全体の
成長の方向を導いている
「光」、ということに
なるわけです。
・・・
さて、無事に
彼ら(木たち)の
全体像にもどったところで
このシリーズも
おしまいです。
彼ら(木たち)は
この星の上では
私たちの大先輩です。
このシリーズをきっかけに
彼ら(木たち)への
リスペクトが増して、
こころ折れそうになった時、
彼ら(木たち)の
無言のアドバイスに
耳を傾けることができると
よいですね。
・・・
「木」のイメージから
療養のヒントを得ようとする時、
Do:
「葉」への執着を捨て、
再び「葉」を生み出すことのできる
「枝」の力を信じる。
Don’t:
「葉」へ執着するあまり
「枝」の力を
過小評価する。
いかがでしたでしょうか?
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